憎しみは燃料となりそして

上司が嫌いだ。

 

会議等で同じ空間にいるだけで落ち着かないし、心に重りがついたようにずんと落ち込む。苦手な理由は二つあって

・一つ目はこっぴどく叱られた経験があるから。

・二つ目は私の『痛い』ところを『わざわざ』突いてくるから。

 

一つ目については、今でも思い出すと悔しくて嗚咽してしまう。

本気の嗚咽だから笑えない。

 

一生懸命(私なりに)作成した報告資料がひどかった(今ならそのひどさが分かる。しかしいきなりその仕事を振られた私にあれ以上何ができただろうか、とは今でも思う。)為に、

 

『他の奴にやらせろ。なんでこんな子にさせるの』とはっきり言われた。

割に大きな声で、吐き捨てるように。

 

その日はショックで帰り道から朝起きるまで泣き続けたので目が腫れて、隣の優しい先輩にひどく心配された。

 

 

その日からその上司にどれだけフランクに話かけられても私の表情の皮の一枚目から下は固く、時に死んでいる。それでも、あの日みたいに罵倒ではなく、親しみの声をかけられるだけでほっと安堵する。これはある意味洗脳だし、パワハラだと密かに思っている。

自殺した電通のあの女の子の気持ちが少し分かる。一度、ひどく否定された経験はずっと付きまとうし、承認して欲しくて認められたくてもがくのだ、密かにそっと。視線は合わせないのに気配はずっと追いかけている、そんな窮屈な中にいる。

高知に移住した有名ブロガーなら何でそんな環境で消耗しているの?と鼻で笑うのだろう。

 

 

二つ目に

見てほしい・評価してほしいところ(そもそも無いのではないか)は見事にスルーするが、私が自分で重々分かっている『痛くて弱いところ』を突くのだ。確信犯的に。

例えば、

・アドリブが効かない

・説明が下手

・あか抜けない

・なまっている

といったもの。私はこれらを『気にしている』し出来ることなら『直したい』と思っている、ずっと。だからばれないように小さな声になったり笑ってごまかしたり自分なりに防衛していた。

 

そんな防御壁を上司は一言だけで射貫くのだ。簡単に。

私はまた否定されたと傷つく。紙で手を切ったように、すっと。

もっと顔の皮を厚くして対峙するしかないのだろう。

 

 

 

しかし

それでも私は思う。

この上司に会えて良かった、と。

 

期待しているからこそ叱ってくれるのが分かるから。

ふとした時に優しい言葉をかけてくれるから。

 本当に私をよく見てよく気づいてくれるから。

 

 

 

 

 

 

とんでもない。

 

叱る人なんて格下に対して自分のストレスの発散をしているだけだし、

セクハラ・パワハラ・エコひいきには辟易している。

肩たたきも、にやけ顔も、毎日の昼寝もうんざりだ。

 

 

それでも思う。

会えて良かった、と。

 

 

 

私は上司に会ってもがいた。

ばたばたした。

そして強烈に変わりたい、

と思った。

 

あの上司がいたから、

・話し方の本を買って練習したし、

・きっかけが欲しくてセミナーや講座を探し実際に行ってみたし

・苦手な友人の誘いにも受けるようになったし、

・いつも味方でいる両親に手紙を書いたし、

・見た目や服装も気を使うようになった。

 

会わずに済む道があるならば間違いなく会いたくないが、それでも出会った結果、私の行動を変えたのだ。

 

負の反発精神を燃料にして。

健全ではないことこの上ない。

 

それでも確実に上司は私を変えている。

私を知らない場所に連れていく。

ただ居心地のよい場所を選んできた私の人生をぐにょりと変えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしかしてだけど

そう悪くはないのかもしれない。

 

もしかしてだけど。

 

 

私はこのままどこにいくのか知ったことではないけれど、

ただ

その時の

その出会いを

生かすも殺すも自分次第なのだと

それだけは骨身に染みて感じている。 

痛いほどに