そんなもんだ

私がフリーダムになったあの日。


他部署の彼にこっそりお別れのメールを送った。

私は彼に頼りきりだった。


すぐに、随分と長くて優しい返事がきた。

熱くて圧倒されるくらいの。


苦しい嘘まみれの日々だったのに。

その一通で涙まみれになったのだから。


ホント最後まで分からないものよね、

なんて知った風に嘯いた。


ハルガキタ

ヒールをはいた自分より上背があるとこ

それも5センチもあるヒール!

ガハハとひっくり返って笑うとこ

気前よく奢ろうとするとこ

無造作に靴をはきリュックを背負うとこ

まんま少年の心を持ってるとこ

照れながら褒めてくれたとこ

久しぶりにグワンっと心が動いた。

もうかれこれ2年以上、いやはやそれ以上、

どうしても誰にもときめく事ができなくて、

もう私はオワコンだと思っていたので、

まだこういう感情持ってたんだ、

なんだそうなんだって。

今は良いところしか見えないから

ほんとは目を皿にして

厳しく判別しないといけないのに

やはり盲目で病なのだと。

こんな情緒はゆるりらと

冷めてゆくなんて知っている。

それでも少しだけ。

この想いに身を委ねようと

決めている。

書きたい日々を創るということ

★久しぶりにブログを書きたくなった。

出来ればブログは健全で後ろ向きではない内容にしたいと思っていて

そのためには心も身体も正常でないとだめだと知った。

心も身体も労りたい。

 

★4月から本格的に脚本を学ぶのだが、すでに課題が出されていて

(そして既に締め切りには間に合わないと諦めて、延長してもらった)、

パチパチ書いているのだが、楽しい。

正直、ストーリーなんて全然思い付かないし、

書いても書いてもいつまでたっても筋道が立たないのだが、

楽しい。

書いては消しての繰り返し。

文字数は増えたり減ったり忙しい。

あぁ楽しい。

楽しいって正義だ。

 

★今年30歳になるのだが、

とにかく思考と行動を変えていきたいと思っている。

凝り固まった、通常の思考パターンにいつも舞い戻ってしまうから

逆の発想を意識的に試みている。

例えば、

いつも私は仕事を辞めたい、転職したいと夢を描いているのだが

では、

仕事を続けて昇進してみたら、と考えてみた。

そのためには越えなければいけない壁がたくさんあるようにみえたのだが

それも逆転に考える。

例えば、

少し朝早く行って(いつも敢えてぎりぎり出社。早くいくなんて阿保らしいという考え)あの数字とあの数字を組み立てて分析してみたら意外と傾向が見えて

それを報告してみたら、

あれよあれよと周りが動き出して

今までの課題が嘘みたいに解決し、ハイ昇進とか。

あの先輩はいつも良いとこどりでずるいって憎んでいるけど、

そうではなくて敢えて先輩が喜ぶ成果を出してみたら、とか。

逆に逆にいくのだ。

不健全で後ろ向きなことよりもヘルシーで健全な思考のほうが

見てる世界が変わるのだ、こんなに。

心ひとつでふわりと変わる。

心が軽くなることに集中するのだ。

 

とわいえ、

軽くなっても文字数は稼げない。

 

締め切りまで1週間だ。

さぁどうしよう。

いずれにしても

心躍る豊かな話を紡ぎたい。

そして美味しかったミドリムシ

図書館に行く途中にいつものスーパーによって

いつもなら選ばないミドリムシの飲み物を買った。

 

昨年、台湾を旅したとき

友人がホテル横のコンビニで

台湾のラーメンと台湾のスナック菓子と台湾のおにぎりを買って

まずいだの美味しいだの言いながら

ベットの上で食べて寝転んだあの夜を思い出したから。

 

『何で今台湾にいるのに

 知っている味のものを食べてるの?』

心底不思議そうに友人は私に尋ねた。

私は日本のアイスを食べて、日本のミルクティーを飲んでいたから。

 

安心安全無難にものを選ぶ私と

せっかくだからと冒険する友人。

 

今は小さくても

この差はどんどん広がるのではないか

とぞっとした。

 

だから今日、コーヒーではなくミドリムシを選んだ。

私のミドリムシのような話

 

憎しみは燃料となりそして

上司が嫌いだ。

 

会議等で同じ空間にいるだけで落ち着かないし、心に重りがついたようにずんと落ち込む。苦手な理由は二つあって

・一つ目はこっぴどく叱られた経験があるから。

・二つ目は私の『痛い』ところを『わざわざ』突いてくるから。

 

一つ目については、今でも思い出すと悔しくて嗚咽してしまう。

本気の嗚咽だから笑えない。

 

一生懸命(私なりに)作成した報告資料がひどかった(今ならそのひどさが分かる。しかしいきなりその仕事を振られた私にあれ以上何ができただろうか、とは今でも思う。)為に、

 

『他の奴にやらせろ。なんでこんな子にさせるの』とはっきり言われた。

割に大きな声で、吐き捨てるように。

 

その日はショックで帰り道から朝起きるまで泣き続けたので目が腫れて、隣の優しい先輩にひどく心配された。

 

 

その日からその上司にどれだけフランクに話かけられても私の表情の皮の一枚目から下は固く、時に死んでいる。それでも、あの日みたいに罵倒ではなく、親しみの声をかけられるだけでほっと安堵する。これはある意味洗脳だし、パワハラだと密かに思っている。

自殺した電通のあの女の子の気持ちが少し分かる。一度、ひどく否定された経験はずっと付きまとうし、承認して欲しくて認められたくてもがくのだ、密かにそっと。視線は合わせないのに気配はずっと追いかけている、そんな窮屈な中にいる。

高知に移住した有名ブロガーなら何でそんな環境で消耗しているの?と鼻で笑うのだろう。

 

 

二つ目に

見てほしい・評価してほしいところ(そもそも無いのではないか)は見事にスルーするが、私が自分で重々分かっている『痛くて弱いところ』を突くのだ。確信犯的に。

例えば、

・アドリブが効かない

・説明が下手

・あか抜けない

・なまっている

といったもの。私はこれらを『気にしている』し出来ることなら『直したい』と思っている、ずっと。だからばれないように小さな声になったり笑ってごまかしたり自分なりに防衛していた。

 

そんな防御壁を上司は一言だけで射貫くのだ。簡単に。

私はまた否定されたと傷つく。紙で手を切ったように、すっと。

もっと顔の皮を厚くして対峙するしかないのだろう。

 

 

 

しかし

それでも私は思う。

この上司に会えて良かった、と。

 

期待しているからこそ叱ってくれるのが分かるから。

ふとした時に優しい言葉をかけてくれるから。

 本当に私をよく見てよく気づいてくれるから。

 

 

 

 

 

 

とんでもない。

 

叱る人なんて格下に対して自分のストレスの発散をしているだけだし、

セクハラ・パワハラ・エコひいきには辟易している。

肩たたきも、にやけ顔も、毎日の昼寝もうんざりだ。

 

 

それでも思う。

会えて良かった、と。

 

 

 

私は上司に会ってもがいた。

ばたばたした。

そして強烈に変わりたい、

と思った。

 

あの上司がいたから、

・話し方の本を買って練習したし、

・きっかけが欲しくてセミナーや講座を探し実際に行ってみたし

・苦手な友人の誘いにも受けるようになったし、

・いつも味方でいる両親に手紙を書いたし、

・見た目や服装も気を使うようになった。

 

会わずに済む道があるならば間違いなく会いたくないが、それでも出会った結果、私の行動を変えたのだ。

 

負の反発精神を燃料にして。

健全ではないことこの上ない。

 

それでも確実に上司は私を変えている。

私を知らない場所に連れていく。

ただ居心地のよい場所を選んできた私の人生をぐにょりと変えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしかしてだけど

そう悪くはないのかもしれない。

 

もしかしてだけど。

 

 

私はこのままどこにいくのか知ったことではないけれど、

ただ

その時の

その出会いを

生かすも殺すも自分次第なのだと

それだけは骨身に染みて感じている。 

痛いほどに